2009/12/15

いつも通る道

今日も陶芸の材料を買いに信楽へ行ってきました。
宇治田原の奥山田という地域にこんな案内板がありました。



本能寺の変の際、堺に逗留していた家康が京都へ向かう途中
この報を受け「伊賀越え」と呼ばれる、三河へ逃げ帰ったと
される道です。
数年前までは車がやっと通れるような道でしたが
今は大型車も通れる2車線の道になっています。
この案内板の近くに、休憩した遍照院というところがあります。
四条畷、枚方の尊延寺、興戸、草内渡、宇治田原の山口城
ここ遍照院、多羅尾、伊賀上野から白子浜、常滑、岡崎まで。
どんな思いで通って行ったのか・・・。
歴史に関心のある方は、次のHPをご覧ください。
http://www.m-network.com/sengoku/ieyasu/igagoe00.html

材料購入したマルニ陶料の駐車場のそばに
ハナミズキが赤い実をつけていました。
我が家のものに比べるとかなり背丈が低いのに
沢山の実をつけていました。

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