2011/03/28

東北高校、健闘およばず

今回は仙台からの応援団はほとんどこれなくて寂しいのではと思い、母校ではないが被災した級友に代わって応援にいった。
 八時半頃の着いたがアルプススタンドは既にほぼ満席。
岸和田の少年野球チームの応援団が、大勢応援に駆けつけてくれていました。

 宮城を支援している神戸の人たちも揃って応援に来ていた。

 ポールには被災者に弔意を表し、反旗が掲揚されていました。

選手たちは全力を尽くすも(全力以上の力を出したに違いないが)残念ながら日大大垣に敗れた。
試合終了後の選手たちにスタンドから暖かい声がかけられた。
夏には必ず戻ってきて、被災された方々に大きな勇気と力を与えられるよう頑張ってください。

誰がつくってくれたものかわかりませんが、関西の人たちが『がんばれ東北』の小旗をうち振って応援してくれました。


2011/03/15

東北関東大震災

18年間、生まれ育った仙台の惨状を見聞きするにつけ、胸が潰れる思い!!。
実家の家、人は、かろうじて難をまぬがれたよう。
まだ連絡のつかない友人知人がいる。無事を祈るしかない。
すぐにでも駆けつけて力を貸してあげたくても、行く手段がない。もどかしい・・・・・。

2011/03/10

京街道、枚方宿の街並み散策

陶芸仲間とランチをしようと駅から歩いて行く途中にある、鍵屋と木南邸を見に行きました。
木偏に南で楠になるので、なるほどと思いながら説明の表札を読みました。
四條畷には楠正行のお墓がありますし、この周辺には楠一族に関係する史跡がいっぱいありますね。

木南邸の外観。公開はしていないようでした。

資料館の建物は、平成9年まで料理旅館であった「鍵屋」の家屋を利用しています。京街道筋に面して建つ「鍵屋」は、江戸時代は旅籠を営んでおり、幕末頃には淀川三十石船の船待ち宿としても繁盛しました。近代以降は枚方きっての料亭として枚方周辺の人々に宴席の場を提供してきました。


待ち合わせまで時間がないので、中の見学はパス。
もう少し暖かくなったらもう一度中の見学に行くことにします。


この後、先日行った意賀美神社の近くのレストランで、ランチでした。

2011/03/07

メジロ観察の一日

今朝咲き始めの木蓮の花芽を食べに来たメジロを見つけ、ミカンでおびき寄せて写真や動画を撮ろうとたくらみ、三脚を出したりレンズを300MMに付け替えて、部屋のガラス越しにじっと待ってました。
はじめは警戒されてなかなか近づかなかったのが、甘い餌におびき寄せられて近づいてきました。

最初の一枚です。

おいしそうに食べ始めています。

歓迎しないヒヨドリまでが飛来して、メジロは警戒してすぐ逃げていきます。
ヒヨドリが来るたび追っ払う役目を引き受けることになってしまいました。

左半分の中身が無くなって食べにくそうにしていたので、差し替えてやりました。

中身が無くなってミカンがひっくり返ってしまいましたが、皮に掴まって食べたり

宙返りして食べたり、じっと見ていて飽きることがありません。

ヒヨドリに皮まで食べられてこんな状態

最後は動画をお楽しみください。ツガイで来ていたようです。


2011/03/04

乳のごとき故郷

藤沢周平のエッセイ集ですが、読み終わって色々な思いがよぎりました。


共通するのは農家の次男ということぐらいですが、作家と定年後のサラリーマンでは雲泥の差ですが、読んでいると故郷に対する思いが非常によくにていて、こんなことがあったあんなことがあったと思い返されます。
子供時代、ふるさとの風景、忘れられない味、父の血 母の血、友と恩師、変わりゆく故郷、と誰にでも共通する部分が多くありますが、鶴岡と我が故郷でよく似た風習とか言葉遣いとか、微妙な部分で似ていて、非常に親近感を覚えました。

藤沢作品は、海坂藩ものをはじめかなりの作品を読み終えていますが、まだまだ読んでない作品が残っていますので、しばらく図書館通いが続きそうです。